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我的学生生活♪(^o^)

☆☆社会人女子大生☆已经毕业了☆卒業しました☆

糖果

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大学生と??です
4/13/2008

引越し

 もう学生ではなくなったので、こちらに引っ越しました。
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  映画に関しては、こちらに。
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4/1/2008

花 花 花

うちの庭です。
今年も咲きました。
花が笑う季節。
あちらからもこちらからも、
花がくすくす笑っているのが聞こえます。

2008年3月花ビオラ

2008年3月花2008年3月花華

 

2008年さくらそう

 

2008年ノースポール2008年はなかんざし

2008年ぼけ

 

2008年ゆすらうめ

2008年庭  

2008年庭2

桜の花は、思い出がありすぎてわざわざ見に行く気になれません。
若葉が風にそよぐころになったら、桜の木をじっくり見上げてみたいと思います。   

 

3/21/2008

卒業しました!

花
 
 無事に卒業式が終わった!
 
 これで4年間の学生生活も完全に終わり。
 
 写真の花は、姪たちが贈ってくれたもの。
 うれしい。
 人は生きていればいろんなことがあり、時には生きているのがいやになることもある。でも前向きに生きてさえいれば、いいことも必ずある。今日は、生きていてよかったと思えた日。 これからもいろんなことがあるだろう。やはり時々落ち込むだろうけれど、前を向いていきたい。
 
 さて、もう学生ではなくなったので、このブログ「我的学生生活」も終わりとしたい。 また、どこかで別のブログを始めようと思っている。 
 訪問してくださったみなさん、ありがとう。(^_^)/~
 
3/20/2008

明日は卒業式

 4年間の学生生活も明日で終わる。振り返ってみればちょっとした感慨がある。よく頑張った、と自分で自分を褒めたい。そして応援してくれた人たちに感謝の気持ちでいっぱい。友人や妹や、そういう人たちがいなかったら続けられなかったと思う。もう一つは、元気をくれた若い同学(同級生)たちにも感謝。たのしかったよ、君たち。

 

 明日の衣装は袴。袴だけレンタルして、あとは自前。きのう袴が届いたので試しに着てみたら、なんとまあ、小ぶりの関取ふう。笑ってしまった。せめて一休さんくらいだといいのに(●^o^●)

 

 なぜだか私は学部代表で卒業証書を受け取る役を仰せつかった。ある人にこのことを話したら「年齢順じゃないの」と言われた。そうかもしれないな。私より一歳年上の社会人学生の方が校舎を代表して答辞を述べる。学校側が歳の大きい社会人学生に敬意を表してくれたのかも。

 ほんとうは若い人がやるべきだと思うけれど、たぶん社会人は授業料の元を取ろうと思うから、休まず出席して真面目に授業を受けたのだろう。皆勤賞のようなものだ。けれど、私は真面目な学生よりもユニークな学生の方が好き。学校はそういうものは評価しないのかな?

 

明日は集合時間が他の人たちより早いので、朝寝坊しないようにしなくては。風邪を引いてしまって、式の最中に咳をしないか心配。鼻水も出るし、ゴホン、ズルズルとやっていたら申し訳ない。今夜は早く寝て、風邪を少しでも治そう。

 

 
3/19/2008

マイ・ブルーベリー・ナイツ

 時間と距離、空間の感覚。これはやはりウォン・カーワイ監督ならではの映画。それからハンドカメラを使った独特のカメラワーク。
 キャストは、ノラ・ジョーンズ, ジュード・ロウ。
 恋人の心変わりによる傷を癒そうとして、旅に出て、先々で別の人生に出会うことによって成長する女性の心理が、時間空間によっておしゃれに表現されている。
 
 この監督の作品は好きで、よく見ている。『いますぐ抱きしめたい』『欲望の翼』『恋する惑星』「楽園の瑕』『天使の涙』『ブエノスアイレス』『花様年華』『2046』。なんとまあ・・・すらすら題名が出てくる。このような感覚と符合するものが自分にあるということだろう。
 
 今回『マイ・ブルーベリー・ナイツ』は時間と距離のほかに色彩も印象に残った。それに音楽も。
  
 しかし、これって、どこの国制作の映画になるのか少し考えてしまった。ウォン・カーワイ(王 家衛)は上海生まれで香港の人。
出演者も場所もアメリカで、制作はフランス=香港とある。現在は何事もグローバル化の時代。映画制作は先端をいっているのかもしれない。
 
 
ブルーべりーパイが出てくる。初めはお店で誰にも注文されず売れ残ったパイについて語る。「パイが悪いわけじゃないんだ。注文されなかっただけ」・・・だったかな? 彼は、そんなふうなことを言った。彼女が悪いわけではない、その魅力を人が知らないだけ・・・ということを言いたかったのだと思う。
 見終わってから、ブルーベリーが食べたくなった。しかしパイはカロリーが高いし単発的に食べれば充分だからジャムを買った。私のことを人は知らないだけ。などと呟いたりして・・・
 
 
3/14/2008

『裸足のギボン』韓国映画

 裸足のランナーのお話。8歳くらいで知能が止まったままのギボン。老いた母に入れ歯を入れてやりたくて、マラソン大会の賞金を狙って出場しようとする。母を慕い、母もわが子を思うという親子の情愛を中心にしたヒューマンドラマ。実話が元になっている。
 

 

韓国は儒教の国。目上の人を敬うのが当然とされているが、現在の若者はすべてそうとは限らない。そんな中にあってギボンは、お母さんのことだけを思う。「ギボンを見習ったら」と言われ、一時は反発する若者、ここでは村長の息子であるが、最後はギボンの母親をタクシーに乗せてマラソン会場まで送っていく。
 

 

悪い人の出てこない温かい物語だ。ということは・・・と、ここで私は勘ぐる。儒教の精神が薄れているからこそ、こういう映画を製作されるのではないかと。全体に楽しかったが、少し物足りなかった。いずれは母親は先に他界する。ギボンのために社会で自立支援をしたほうがいい・・・という声も聞いた。 それは、いま社会的課題である。韓国に限らず。

 

韓国映画も少し前は「病気モノ」が多く、ちょっとばかり食傷気味だった。そうでない映画だと、私などはほっとしたりしている。

棚田などの田舎の風景が美しかった。

3/7/2008

『ジェリーフィッシュ』

 『迷子の警察音楽隊』を見損なったので、イスラエル映画は初めてだった。正確にはイスラエル・フランス映画であるが。

 

くらげのように現代社会を漂いながら生きる人々・・・。

 結婚式場のウェイトレスをしているパティアは、浜辺で海から上がったばかりのような少女に出あう。結婚式場で花嫁が足を痛めて、新婚の二人は新婚旅行に行けずに海の見えるホテルに泊まる。そこで詩人らしい女性に出会う。フィリピンから出稼ぎに来たジョイは、一人暮らしの老女のヘルパーになり・・・。

 

 行き交いすれ違いする人々。みな胸のどこかしこに悲しみを抱えている。でも、かすかな光を見つけて人は生きている。場面のどこかに仕掛けがあって、見落としてしまってもかまわないけれども、気がついて見てみれば、映像が比喩された詩のよう。
 

 

 イスラエルは、みなどこかから来た人々である。「私たちは何かの第二世代」というセリフが忘れられない。世界の各地から来て、その子供たちが成長している国。振り返る子供時代は切ない。出稼ぎのフィリピン人に高齢者の介護を任せるというパターンは、この日本でもありそうで、言葉が通じなくても心が通じることにほっとする。

 

 漂泊の民という言葉が日本にもある。そして、以前に見た『フローティングライフ』(オーストラリア)という作品名を思い出した。どの国にも漂いながら生きている人々は多い。 私もそうかな、と。

 

 好きな部類に入る映画。

 

3/5/2008

『ノーカントリー』

 怖かった! 途中の緊迫感がなんとも。何人もが無駄に殺され、死体がごろごろ。血なまぐさい作品は好きではないが、今年のアカデミー作品賞受賞作ということで見てみた。さすが賞を取るだけはある。

終わり方は、ん? というくらい予想できなかった。
一個人が持つ発信機があのように精度のよいものなのかなど、ちょっと疑問を持つ部分もあったが、全体にしっかり出来ている。

 

 コーマック・マッカーシーの小説『血と暴力の国』を、コーエン兄弟が映画化した。

 『告発のとき』のトミー・リー・ジョーンズが老保安官で適役である。原題は『NO COUNTRY FOR OLD MAN』で、この老保安官の目をとおして、アメリカ西部の人間的荒廃を嘆いていると言ったところか。 西部に限らず、狂気と紙一重の人間は、現代社会ではどこにでも出没している。

 

2/29/2008

『地上5センチの恋心』

 心が羽根のようにふわふわ軽くなる映画である。ファンタジックな中年のラブコメディ。大人の恋もこんなふうに可愛らしく描くことができるんだと感心。こんな恋があったら素敵だ。しかし、あくまでもお話である。現実にはありそうもないが、いや、あるかもしれない。想像するとたのしい。
 

 

 この映画は、オデットという二人の子の母親で未亡人のキャラクターがすべてと言っていい。子供はすでに成人しているが、息子は美容師でゲイ、娘はいつも不機嫌顔でプー太郎の男を家に連れ込んでいる。ノイローゼになってもおかしくない環境なのに、オデットはそのままを受け入れている。食事の支度も音楽に乗り、踊りださんばかりに楽しそう。いえ、ほんとうに踊る。ダンスは人間だけでなく、お皿までも。化粧品売り場職場では口紅も踊る。


 その彼女は、憧れのフランス人の作家がいる。平凡な主婦にとって、高嶺の花の彼。しかし彼は、自分の作品を酷評され落ち込んでしまう。そんなときにオデットのファンレターを読んで・・・

ベルギーとフランス、陸続きの国の話である。最初、フランス語なのに地名を聞いて、あれ?と思ったけれど、国境線を感じないのはヨーロッパだから。お金もユーロ。 あれは便利だ。

ミュージカルふうで、音楽も楽しめた。シャンソン歌手のジョセフィン・ベイカーの歌、こうして聴いてみるといいものだ。

 

 原題『Odette Toulemonde

 監督・エリック=エマニエル・シュミット

 2006年制作・フランス・ベルギー

 出演・オデット・・・カトリーヌ・フロ    バルタザール・・・アルベール・デュポンテル

2/18/2008

『トゥヤーの結婚』

 原題『图雅的婚事』中国映画・2006年制作

  导演(監督):王全安(ワン・チュアンアン)

  出演 :余男(ユイ・ナン)

      苏合巴特尔(スゥフゥ・バータル)

      森格(センゲー) 

 

  内モンゴルと言えば、羊を追う人々と緑の大草原・・・そのようなイメージとは程遠く、荒野が画面いっぱいに映し出される。雨が降らず砂漠化する地で、それでも以前と変わらず羊を放牧して暮らすしかない一家がいる。厳しい自然条件の中で、凛とたくましく生きる女性トゥヤー。井戸掘りの途中で怪我をして半身不随になった夫と、二人のまだ小さい子供の世話をし、もちろん毎日羊を追い、羊にやる水を毎日遠くまで汲みに行き、おいしいお茶を淹れる母さんである。
 

 その彼女が、生活のため夫と離婚し、再婚の条件にしたのは夫も一緒に暮らすことだった。そして、美しく気立てのよいトゥヤーのところには何人もが求婚に来るが・・・。

 この映画、過酷な状況なのにどこかしこにユーモラスで、しかも胸を打つ。緑の少ない大地や、羊たちの映像もよい。

 

 たくましく生きる女性は映画の題材になりやすいのか、モンゴル映画の『白い馬の季節』でもそうだったし、コン・リー主演の『活きる』でも、時代を受け入れて柔軟にたくましく生きる女性が主人公だった。か弱いはずの女性、その弱いものが柔軟さゆえに強く放つ光はうつくしい。映画製作者は、それを捉える。

 

しかし、実際は強いのは女性に限らない。男も女も強くもあり弱くもあるものだ。まだ若いのにゴットマザーの風格のトゥヤー。彼女がうつくしいのは、強く弱く、その周辺に絡み合う縄のごとく存在する男性たちがいるから、と私は思うのだけれど。

 

(第57回ベルリン国際映画祭《金熊賞》グランプリ受賞)
 

 

2/15/2008

『告発のとき』

   2007年・アメリカ映画。121分。

 監督:ポール・ハギス

 キャスト:トミー・リー・ジョーンズ

      シャーリーズ・セロン

      スーザン・サランドン


 

 

人には見たくないものもある。できることなら知っていても知らないふりをして、目をそむけていたい。つらい真実を自ら探偵のようにして暴いてしまった父親。彼は、無残な姿となったわが息子の狂気を知り得て、その真実を受け止め、見据えることしかできなかった。

 

 『父親たちの星条旗』と同じように反戦の映画である。このような映画がアメリカで制作されていることに、やはり驚く。これがイラク戦争を現在進行形で行っている同じ国の人の手によるものかと。  

  

 
  反戦ではあるが、戦争の場面は息子の遺した携帯の動画から断片的に挿入されるのみ。だが、その断片から戦争の狂気が充分すぎるくらい伝わる。

 

 戦争は人の心を歪めてしまう。なんと言っても、国から人殺しをしてよいと許可されるのが戦争だから。平和な国に戻っても、一旦歪んでしまった心は簡単には元に戻らない。その恐ろしさが静かに染み出してくるのが、この映画。

 

 

 しかし、救いはある。映画は「子供たちに捧ぐ」というテロップで終わる。小さい子供にベッドタイムストーリーの代わりに教える話がここではっと思い出される。暗闇が怖い子供に、旧約聖書のダビデの逸話をとって「勇気」について唐突に話す場面があるのだ。

勇気とは何を指すのか、具体的に述べていないけれども。

 

 父親役のトミー・リー・ジョーンズ(缶コーヒー○スのコマーシャルに出ている人)も、女刑事役のシャーリーズ・セロンも、とてもいい。 

 
2/12/2008

雪の日

数日前の雪の日
 
わが家の庭です。
雪椿
椿と雪は似合うと思う。
 
DSCN0935
私の車。塀の向こうはお隣の家の壁です。
 
DSCN0938
雪をかぶったロウバイ。すでに咲いています。
 
DSCN0936
鉢植えの梅。これ実がなります。一個か二個。
 
雪ダルマ
妹に単なる雪のかたまりだと言われてしまいましたが。
雪ダルマ。ふふふ、私は遊ぶのが好き。
 
 
DSCN0943
家の前の道路。
 
雪に慣れないこの地方では、交通機関に影響が出ていました。それは困りますが、 
冬です。一年に、二度や三度は雪が降らないと、じわり温暖化しているのかかと心配になります。
私は寒いのは大の苦手、嫌いです。でも、たまには覚悟を決めて、パキッとした冬の空気に当たるのはいいものだと思っています。
人生もそうかも。 
 
2/8/2008

外へ

昨日あんなことを書き込んで、今日になったらやはり恥ずかしい。

 

心が疲れているんだ、きっと。ばたっと閉じてしまいたい、私の心。ついでに人生も閉じられたらいい、などと考える。

 

暇だといけないのかも。身体はらくなのに。あ、家の仕事は山ほどある。やり始めたらきりがない。

 

もうじき18歳になろうとしている犬が、家の外で遠吠えしている。身の内から出る声。しかし最近の犬は、みな室内犬になってしまって、吠えても相手などいない。わが犬もさみしい。

 

でも、しようがないものはしようがない。節分も過ぎて、庭の沈丁花にしっかりつぼみがついた。もう春だ。パソコンの前なんかにいないで、お出かけしよう。私は「奥さん」には向いていない。外も向いてないかな? 

 

 

2/7/2008

世界の端っこで、さみしい、と叫んでみる

 明るい、軽いことがよいこととされている昨今、弱音は封じ込められることが多い。特に、こんな誰が読むか分からないような場所ではブルーな気分は人気がない。しかし、アクセス数を競う人たちとは目的がちがうので、訪れる人は少なくてもかまわないし、私などしょっちゅう気がふさぐので、どこかで発散しないとやりきれない。・・・ということで。

 

 さみしいのである。さみしい、と書いてしまうとさみしくないような感じ。でもやっぱりさみしい。さみしいときはさみしいと言うのである。さみしい。

 

 スーパーマーケットに行く。夫婦連れがいる。ああ、私には片方がいないと思うと無性に悲しくなる。この世はすべて、セット向きにできている。コーヒーカップとカップソーサーのように別々でも用をなすが、やはりセットのほうが落ち着く。私には子供もなくて親子にもなれず(私が子供としての親子はあるが)、連れ合いもいない。なぜだ、と言いたくなる。私、何かわるいことした?

 

 ないものをうらやんでも仕方のないこと。幸せそうなカップルを見ても見ない努力をした。そんなことが続くと、だんだんと見えていても見えなくなってくる。だからいつの間にか何も思わなくなった。人の幸せは喜んであげるべき。幸せは伝染するものだ。実際、人の平穏を喜び、こちらも幸せのおすそ分けをもらう。そして、私はいたって元気である。まだ何かにチャレンジする気持ちはある。友だちも多いほうだと思う。私は幸せなのだ。

 

 しかし、あるとき突然、いちめんに大小の星をばらまいたような夜景が目に飛び込んでくるのだ。幸せの家族の風景。暖かい家族の灯りのあるところ。きれいだと言って見るだけで、私にはたぶんもう永遠に中に入れないところ。目を閉じても、幸せの風景はパノラマの夜景のように、何万と光を放っている。ほぅ~

 

 見るだけ、と言うのはつらい。けれど、いつも見るだけ。

 きょうは、目を閉じても閉じても夜景が現れる。家族の大平原に広がる、その無邪気な幸せの灯りを、ぽつんと独り、暗い丘から眺めている。

 

 

 

だから、

 

 

 

 

 

 

 わたし、きょうは泣いてもいいでしょ?

 

 

 

2/1/2008

口頭試問が済んで

さて、卒論の口頭試問が済んだ。もう、ほんとうの終わり。あとは成績表をもらいに行って、卒業式のみ。

 

 口頭試問の最後に、中国語検定の級を訊ねられた。全員に訊いているらしい。HSK△級、中国語検定△級・・・この学部にいるのに恥ずかしい。中国語の勉強をしなくては。私の年齢では(私の能力もある)繰り返し耳にして、書いたり声にしたり数触れるより仕方ない。

 

 また頑張ろう!!

1/27/2008

試験済んで、夢のあと

デザート 

 金曜日に定期試験が済んだ。4年間の学生生活最後の試験。今学期は、たった一科目だけ。それが韓国語というのも自分で面白いものを感じる。中国の前は韓国に興味を持っていたのだから。しかし語学は私の苦手とするところ。なぜ、現在のように中国語、韓国語と、できないくせに手を出したのか。だめもと、という究極の開き直りの境遇だからだろうか。

 

 しかし、終わった、終わった。

 

 金曜日のその夜は、若い子二人と学校近くのレストランでフレンチを食べてきた。田舎にある大学。駅を降りるとスーパーとコンビニ以外は、ほとんど住宅地と田んぼや畑。通学の時、一軒だけのレストランが気になっていた。しかし入る機会もなく4年近くが過ぎていた。一度くらい入ってみてもいいかと思って、若い子を誘った。 卒論が思い通りに書けなかったのか、なにやら不満ありげな子と、決めたことは一生懸命やる子。「子」と言うには、すでに22歳でりっぱな大人ではある。彼女たちが一年生の時のことを思うと成長したのは確か。

 

 それでも彼女たち二人から見れば、年齢差が大きくあまり話し相手にもならない私だが、これはこれで面白い。こんなすごいジェネレーションを超えて話しをすることも、この先、そうはないだろう。

 レストランの食事は、ふつうだったが、ロゼワインを空けながら食べ、最後にかわいいデザートを見ながら、「夢のあと」を感じていた。

 

1/23/2008

応援したい人たち

 もう土曜日のことになる。留学生のL君にご馳走になった。カニ料理で有名なお店で、コースメニューを。
 
 彼のフィアンセを紹介してもらうのが目的だったのだけれど。彼と彼女、どちらも中国人で、彼女はすでに就職している。昨年、L君の就職先が決まってからご両親から結婚してもいいと言う許可が出て、それから一緒に暮らしている。
 
 L君は大学の授業も、最小限しか休まなかったし、授業はいつも一番前で聞いていた。とっても真面目。日本人の小遣い稼ぎのバイトと違って、生活費や学費のためのバイトをしながら学校へ通うのは大変だったろうと思う。
 
 私は一年生の時から、時々、彼に中国語の作文やら宿題やら直してもらって、私は彼の日本語レポートの「てにをは」を直してあげて、というふうに仲良くなった。今回は、4年間のお礼も兼ねていた? それなら私もお礼しなくては。料理はおいしかった。しかし散財させてしまって申し訳なかった。
 
 彼女はしっかりしていて優しい感じの女性だった。飾り立てない美しさがあった。L君に「いい子だね」と言ったら「優しい」と。ふふーーん(●^o^●)これって、ノロケ。 まあいいよ、いくらでも。
 
 二人は将来も日本で仕事をして日本で暮らしたいようだ。こんな誠実な二人。中国の人がこの異国で暮らすのは、日本人ほどたやすくない。頑張れ! 若い二人を応援してあげたい。心からそう思った日だった。
1/18/2008

名残り惜しい

 
また若い子と飲み会をした。卒業したら、滅多に会えなくなるからと、食べておしゃべりをして・・・
 
 

 お店は若い子が探してくれた。大きな金魚がいる個室居酒屋だった。暖房があまり効かなくて少し寒かったけれど、楽しかったからまあいいとしよう。お腹一杯になって終電車に間に合うよう出てきたら、人通りの少なくなった路地でケーキ屋さんが目についた。12時まで営業しているとのこと。若い子は買って帰った。さすが若さ!

 

名残りを惜しむ食事会、この先まだいくつか控えている。大勢と知り合ったらそのぶんだけある。私はまだ一科目試験を受けなければならないけれど、ほとんどの4年生は卒論の口頭試問があるのみ。卒業旅行の計画も花ざかりで楽しそう。若いっていいな。

 

1/16/2008

『胡同の理髪師』

 2006年・中国・1時間45分・ 原題『剃頭匠』
 監督・哈斯朝魯(ハスチャオルー)
 
 絵になる顔というものがある。人柄とその歴史が刻まれた顔。 靖奎(チン・クイ)さんは、93歳の現役理髪師。北京の胡同に今も住む。その人の暮らしぶりは、ときにユーモラスで静かであたたかい。
 
 登場人物のほとんどが実在の人物で、その人たちが自身を演じている。けれど単なるドキュメンタリーでもなく、かと言ってストーリーがあるわけでもなく、淡々としているようで、やはりドラマチックな胡同の現在を感じる映画。
 
 胡同の人々は、日本に以前あった長屋の人々みたいだと思う。胡同の建物や路地は、現在は観光名所となり、それ以外のものは都市開発のために壊されつつある。建物と同時に、人々の心も暮らしの文化も失われていく。さみしく、やるせないことではあるが、靖さんの人柄のお陰で、実にほのぼのと見ていられた。監督さんが靖さんを映画にしたのは、そこを狙ったのだろう。
 
 1913年、辛亥革命の2年後に生まれの靖さん。それを「中華民国○年に生まれた」という言い方をしているのが印象に残った。国民党の時代、中華人民共和国の時代、文化大革命の時代もみんな生きてきた。すごいな、と思う。
 
 見終わって、いい時間を過ごしたと思った。
1/11/2008

最後の授業

 昨日卒論を提出して、ほっとするかと思ったら、書き終わったときほどの解放感はなかった。今日は4年間の最後の授業のゼミがあったけれど、やはりそう感慨はない。あとは再来週の韓国語の試験と、今月末の卒論口頭試問を残すのみ。

 昨日の続きの今日という感じで、また4月からも大学に来ることにしたからだろうか。来年度も科目履修を一科目のほかに、先生の許可を得て(先生から奨められた?)「もぐり」をすることにした。学ぶことには終わりがない。

 

 4年間、長くもあり短くもあり。最初は、単位をいくつ落とすのか心配だった。若い学生と同じようにやっていけるか自信はまったくなくて、家事と電車通学と授業で疲れてばかりいた。だめなら一年ぐらい留年してもいいとさえ思っていたのに。それが、単位を落とすこともなく無事にやってこられたのだ。やはり応援してくれた人に感謝しなくては。

 

 今日の夜はゼミの懇親会。会場が学校に近いところなので、集合時間を見て、いま学校でパソコンに向かっている。ゼミコンも最後。

 

 若い子とのジェネレーションギャップもものともせず(した時もあったが)、よくやってきたと自分で思う。そう、大学生活で一番の難は若い子とどのようにうまく付き合うか、だった。それも、いい子にもめぐり会えたし若い子と付き合えてよかったと思う。

  さて、たのしんで飲もう~

1/9/2008

『ここに幸あり』

 

 この邦題を見て、大津美子の歌を思い出す人は相当年配だろう。その年代ではないけれど、私も思い出した。「嵐も吹けば雨も降る、女の道よなぜ険し~♫」この歌詞で女の道が険しいとは、どういう意味だとずっと思っていた。人生、男も女も道は険しい時代だと、ヘンクツな私は思う。
 

 

 そのようなヘンクツ、ヘリクツをあっさり放棄させるのが、この映画『ここに幸あり』。『素敵な歌と舟はゆく』『月曜日に乾杯』のオタール・イオセリアーニ監督作品。

 原題は『JARDINS EN AUTOMNE』(秋の庭)。秋にならないと人生の本当のよさが分からないと言うことだろうか。

 

 不幸が連続でやってきても、そんなものノンシャラン。棺桶が出てきたかと思えば、像やイノシシが出てきて、それから人の足元に犬ではなくてチータが寝そべっていたり・・・

登場人物も舞台設定もとってもハチャメチャで、クスッ、クスッと笑える。

言葉はフランス語で、街はパリのようではあるけれど、どこの国か、いつの出来事かはっきりしない。ママンを演じているのが、ミシェール・ピコリという男優。寓話的でシニカルで。

 

 印象にのこったセリフはやっぱり、これ。大臣を首になった主人公に、街で出会った旧友が「新聞を読んだが凡人に戻ったらしいな」と言うと「人間にね」というもの。

 

人生は何も深刻ではない。肩書きやら、そのほかもろもろの枠から抜け出したとき、本当の幸せが始まる。まさに、幸せは自分で料理するもの、という監督のメッセージが伝わってきた。でも、この監督は「メッセージなんかない」と言うかもしれない。見終わったとき、涼やかな風がほおを撫でていく感じで、フフとほほえんでいた。

 

 

1/1/2008

謹賀新年

2007大晦日 003

 元旦、のんびり過ごしております。
年末ジャンボは300円のみ当たりました。(*^。^*)

写真は李さんから頂いたカサブランカ。
香りがいちめんに漂っています。

 みなさま、本年もどうぞよろしく。

 

12/27/2007

寸景

ロコモコ
最近食べた学食、ロコモコ。480円なり。
学食にしては高いかも。

空雲
学校でお昼休みに見た空。

愛大のほそい月
帰るとき見た校舎。早い夕暮れ。

現中棟前2
私が、よく座るベンチ。学部の校舎の前。

2007年in上海 081
ゼミの教室。授業の始まる前。どうしてカバンを
机の上に乗せるのかわかりますか?笑

 

名古屋の街
これは大学とは何の関係もない。
おもしろい絵があるビルだと思って。

12/19/2007

『ラスト、コーション(色・戒)』

 やっと、見られた!! 9月初めにゼミ旅行した時、台北の誠品書店でこの映画のパンフを買った。それにはチケットが二枚ついていた(そのぶん高かった)。けれど、まだ封切り前だったので、お世話になった台湾の学生さんに差しあげてパンフだけ持ち帰った。そして日本で見られる日をたのしみにしていて、ようやく見ることができた。
 

 外国映画の日本公開は近隣の国に較べて遅い。韓国ではすでに興行成績100万人突破したとか。中国では問題のシーンをカットして上映しているようだ。

 

 問題のシーンというのは、ベッドシーンのこと。それは、もう・・・。命がけって感じで。あそこまで描かなくてもと思ったが、テーマからすれば必然なのだろう。不安な心理をそこにぶつけたという感じがする。極限状態の男女の愛なのかもしれない。

 

 しかし、監督のアン・リー(李安)は、そのシーンばかりが話題になるのは不本意だと言っている。その通り。この映画の醍醐味は心理描写だと思う。1940年前後の日本軍による占領下の上海と香港、汪兆銘(汪精衛)の時代。女スパイの心理的駆け引きがスリリングだ。国際都市、上海と香港二つの街の風景も丁寧につくられている。さらには金持ち階級の夫人たちがマージャンをする様子や、ヒロインの衣装にも魅入ってしまう。

 

題名は「ラスト、コーション」にしても、原題の「色・戒」にしても、解釈がどのようにでもできそう。単純に解釈すれば、色=性 戒=警戒で「性と死」、「戒」は中国語では指輪(戒指の略)と言う意味にもなり、それもかけているようだ。
 

 
 
易先生役のトニー・レオン(梁朝偉)は、やはりピッタリのキャスティングだと思う。王佳芝役のタン・ウェイ(湯唯)は新人。そのチャーミングな魔性を十分に発揮している。そのほかに演劇仲間としてワン・リーホン(王力宏)。

 

 

原作は張愛玲の小説で、この物語に登場する女スパイの王佳芝の生い立ちは作者自身と重なる部分が多いという。女スパイ自体は鄭蘋如をモデルにしているが。そして、張愛玲はあの清朝末期の重臣(下関条約の全権大使の)李鴻章のひ孫だというではないか。これは原文を読んでみなくては。

というふうに、興奮醒めやらぬところでこれを書いている。

 

制作2007年 ・158分

アメリカ・中国・香港合作

2007年ヴェネツィア国際映画祭 

グランプリ(金獅子賞)・撮影賞(金のオッゼラ賞)受賞

 

12/13/2007

『レンブラントの夜警』

  

映画の色彩がレンブラントの絵にそっくり。絵画のようで、舞台劇のようで、詩のようで・・・。 レンブラントと言えば、17世紀、バロック時代のオランダの画家、光と闇が際立つ画風で有名だが、この映画は、まるで彼の絵から出てきた人物たちが舞台で動きまわっているよう。それくらい色調が彼の絵に近い。
 

「夜警」というレンブラントの作品は通称で、「フランス・バニング・コックを隊長とする市警備団」という長い題名であり、火縄銃手組合からの依頼で描かれた作品だった。

 この当時の肖像画は、どの人も平等に描かれるのが常識であったのが、レンブラントは動きをつけ、無関係の少女を入れて光を当てている。当然、依頼主たちは不満で、この作品以後、レンブラントの名声は失墜していったと言う説がある。

 

映画は、「夜警」を元に、この作品の中の人物と時代とを物語化したものだ。実際にそうであったかどうかはわからない。描かれた人物たちと背景の謎解きにドキドキする。そして描かれる時代が浮かび上がり、そしてレンブラントの半生が浮かび上がる。子供の誕生、妻の早すぎる死と、その後の家政婦との性愛など、性と死は、さながら「光と闇」である。

 

印象的だったのは、「何マイルもの闇・・・」というセリフ。レンブラントは、深い闇の恐怖の中にいたのかもしれない。闇は光を生む。光は深い闇があるから、なおいっそう際立つ。

 

 絵は一篇の詩であり物語りであり、映画は絵であり詩であり、詩は一枚の絵のようで・・・
 

 

原題:Nightwatching

監督:ピーター・グリーナウェイ

制作:2007年 139分

カナダ・フランス・ドイツ・ポーランド・オランダ・イギリス合作
 

 

 

 

 
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